
こんにちは、れいらです。
私は現在、複数のブログ運営で収益を安定化させながら、
AIの力を活かした【GPTs開発】や、ブログ講座を提供する【Udemy講師】としても活動しています。
ブログとSNSを組み合わせた戦略で年収650万円を突破し、
自分のブログ経験を元にリリースしたUdemy1作目でベストセラーを獲得。
そこからAIに可能性を感じてGPTs開発にも着手。
2025年3月には、構想半年以上にわたるAIツール『アルカディア』をリリース。
初日で60部完売、現在は180部突破し、月収100万円を突破。
今では、「ブログ×AI×コンテンツ」という3つの軸で、私らしいビジネスを展開しています。
子どもと毎日笑い合いながら、時間にも場所にも縛られず、好きなときに仕事をして、好きなときに休む。
そんな暮らしが、いま現実になっています。
でも、ここまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
むしろ、人より何倍も遠回りしてきた自覚があります。
迷って、転んで、間違えて、何度もゼロに戻って、
それでもなんとか、「自分の人生」をあきらめずにここまで歩いてきた、そんな実感があります。
大学にも行かず、進路も見えず、焦りだけが募っていた20代。
MLMに挑戦しては挫折し、会社の倒産とともに借金だけが残ったこともありました。
稼ぐために、どんな仕事でも飛び込んで、とにかく、生き延びるための働き方を探し続けた日々。
今思えば、「自分の人生に、手応えが欲しかった」のかもしれません。
不器用な選択ばかりだったけれど、それでも諦めずに前を向いてきたから、今の私がいます。
そして、結婚して、子どもが生まれて。
子どもの笑顔を理由に、夢を手放したくないと思いました。
時間も、お金も、働き方も、誰かに決められる人生じゃなくて、「自分で舵を取れる人生」がどうしても欲しかった。
その結果、私は「ブログ」という働き方に出会いました。
誰にも迷惑をかけず、誰かの役に立てて、自分の言葉で、価値を届けられる。
パソコン1台から、すべてが変わっていったんです。
今では、家にいながら月20万円~50万円を安定して稼げるようになり、家族のための時間も、自分のための時間も自由に使えるようになりました。

でもね、それは決して「特別な才能があったから」じゃない。
むしろ、何度も転んで、失敗して、回り道してきたからこそ見えた景色。
このプロフィールでは、そんな私のこれまでの人生、
「普通」じゃなかったからこそ、手に入れられた生き方の自由について、全て、赤裸々に綴っていこうと思います。
きっとどこかに、あなたにも重なるところがあるはず。
もし今、「人生このままでいいのかな」ってモヤモヤしてるなら、
このストーリーが、あなたの新しい一歩を踏み出す小さなきっかけになれたら嬉しいです。
欲しいと言えなかったあの頃。成人式の着物すら諦めた、「お金に支配された幼少期」

「お金がない」
この言葉は、いつだって、うちの空気みたいに漂っていました。
何かあるたび、母の口から当たり前のようにこぼれるその一言。
怒鳴られているわけじゃなくても、何度も何度も繰り返されるうちに、
それは次第に、「静かな呪い」のように、私の中に染み込んでいきました。
「これ欲しい」と言えば、家の空気がピリつく。
「なんでそんなこと言うの」と言われたり、父と母が口論を始めたり。
そんな場面を繰り返すうちに、私は自然と「欲しい」を封印するようになっていきました。
よく覚えているのは、スーパーのレジ前で見つけた、キラキラ光るお菓子付きのおもちゃ。
しばらく足を止めて見つめていた私に、母がこう聞きました。
「それ、欲しいの?」
ほんの一瞬だけ胸が高鳴ったのに、私はすぐに目をそらして、小さな声で言いました。
「でも…いらない」
あのときの自分の声、視線をそらしたあの瞬間。
ずっと胸の奥に残っています。
そんな環境の中でも、私は中学から塾に通い、公立の偏差値65くらいの進学校に合格しました。
「公立に受かれば、親に金銭的な負担をかけなくて済む」
「親に喜んでもらいたい」
それだけを支えに、必死で勉強していました。
でも、進学した先で私はすぐに燃え尽きました。
勉強の意味がわからなくなり、学校に行ったり行かなかったりの毎日。
それでも、「大学に行くのが当たり前」という空気が強く流れていて、 「どこの大学受けるの?」という会話が毎日のように飛び交っていました。
でも、親からは「大学はお金がかかるから無理だよ」と言われ続けていたので、
最初から大学に行くことも選択肢としてなかったし、
私自身も
「なんで大学に行かないといけないの?」
「なんで、みんなそんなに自然に大学を目指せるんだろう?」
とずっと思っていました。
この違和感は、私の中にずっと残っていました。
だけど、進学しないことを担任の先生に言っても、
「とりあえず受験はしなさい」と言われて(高校の進学率に関わるため)
結局、気持ちが乗らないまま受験だけさせられて、もちろん不合格。
そして私は、学年でただひとり「進学しなかった生徒」として高校をあとにしました。
その時感じたのは、恥ずかしさよりも、「私は私の人生を生きたい」という思い。
でも同時に、「このままでどうやって生きていけばいいんだろう…」という
出口のない不安も、胸の奥に広がっていたのを、今でも思い出します。
どこかで「自分だけが道を踏み外した」ような孤独も抱えていました。
そして、極めつけは、成人式のこと。
まわりの友達が、まわりの友達が前撮りやヘアメイクの話で盛り上がる中、私は静かにその輪から距離を取っていました。
なぜなら、私は成人式の振袖を着ることすらできなかったからです。
「うちは、そういうの無理だから」
母のその一言で、すべてが終わった。
今なら、ローンを組んででも着物を借りられるって分かる。
その当時は着物レンタルするのにローンできるとか、そんな知識もなくて。
悲しいとも、悔しいとも、言えなかった。
ただ、「いいよ別に」と笑ってごまかしたあの日。
心の奥に、消えない火種みたいなものが、静かに灯った瞬間でした。
「もう絶対に、こんなふうに我慢する人生はイヤだ」
誰かに遠慮して、諦めて、欲しいものも言えずに生きるなんて、もう二度としたくない。
それが、私の「人生を変えたい」という原動力になっていきました。
お金のせいで夢を諦める人生。
お金のせいで自己主張を飲み込む人生。
そんな生き方を、私は自分の子どもには絶対に背負わせたくない。
そして、私自身も、もう一度「自分の人生」を取り戻したかった。
だから私は決めました。
「自分の力で稼げるようになろう」
「自分の価値を、自分で決められる働き方を手に入れよう」と。
だけど、当時の私はスキルも経験もゼロ。
当然ながら、すぐに理想の働き方に出会えるわけもなく、
ここから私は、迷いに迷い、転び続ける「迷走の時代」に突入していきます。
迷って、転んで、間違えて。社会の中で居場所が見つからなかった「迷走の時代」

大学にも行かず、進路も決められなかった私は、とにかく何かしなきゃという焦りだけを胸に、バイト生活を始めました。
当時、大好きだった音楽に触れたくて選んだのが、TSUTAYAでのバイト。
そこで出会ったひとりの洋楽好きのお客さんから、突然「うちの会社に来ないか?」と誘われ、特に深く考えず、そのまま就職することに。
でも、それがまた、うまくいかなかった。
入社後すぐに営業成績を出してしまい、注目されるものの、営業という仕事にどうしても馴染めず、たった1ヶ月で退職。
「私、社会で働けないのかもしれない」
そんな言葉が、頭の中にふと浮かんできました。
そのとき、同期入社したひとりの子が、やたら羽振りが良くて。
ブランド物を身につけ、海外旅行の話をして、まるで別の世界に生きてるみたいだった。
話を聞くと、その子はMLMをやっているとのこと。
「自分も変わりたい」と思って、私は自ら頼み込んで、その世界に飛び込みました。
出会い系で人脈をつくり、毎晩ファミレスでABC。
気がつけば、自分の組織もでき始めていて、今度は私がプレゼン・クロージングをする側に。
寝る間も惜しんで、夢中で走った。
でも、そんな日々は突然終わりを迎えます。
ある日、同期から一本の電話がかかってきました。
「会社、潰れたらしいよ」
頭が真っ白になりました。
手元に残ったのは、借金と、深いため息だけでした。
実はこの頃、借金も何度も抱えていました。
督促の電話が鳴るたび、心臓がドクンと跳ねて、スマホを見るのが怖くなる。
それでもなんとか自分でどうにかしようって、ずっと誰にも言えなかったんです。
でも、ある日、借金取りが、実家に連絡をしてしまって。
「〇〇(私)、いったい何やってるの…」
母の声が、怒りよりも、あきれよりも、悲しみに満ちていたのを今でも覚えています。
本当は親にバレたくなかった。
しかも、バレ方も最低で、情けなさでいっぱいでした。
それでも、両親は見捨てませんでした。
必要な額を立て替えてくれて、何も言わず「また頑張ればいいじゃない」と背中を押してくれました。
あの時のことを思い出すと、今でも胸がギュッと締めつけられます。
だから今、少しずつだけど恩返しをしています。
プレゼントを贈ったり、頻繁に孫を連れて家に帰ったり、実家のことでできることがあれば、率先して手伝うようにしています。
「自分ひとりの力でここまで来たんじゃない」って、忘れたくないから。
稼ぐことも、自立も大事。
でもそれ以上に、私は「ちゃんと感謝を返せる生き方」を、これからも続けていきたいと思っています。
とはいえ、現実は甘くありませんでした。
借金を背負ったあと、すぐに安定した仕事が見つかるわけでもなく、
「どうやって生活していこうか」
「どうすれば早くお金を作れるだろうか」
そんな焦りを抱えながら、日々を過ごしていました。
そんな時、MLM時代に仲良くなった同期から、
「実はパチスロで生計立ててる人がいるんだけど、会ってみる?」と紹介されたんです。
最初は正直、かなり驚きました。
ギャンブルで生活するなんて、自分にはまったく無縁の世界だと思っていたからです。
でも、実際に話を聞いてみると、その人たちは運任せではなく、データと確率に基づいて、毎日緻密に立ち回っていることがわかりました。
「もしかしたら、私にもできるかもしれない」
生活費を稼ぐために、背に腹は代えられない。
そう思った私は、思い切ってその世界に飛び込むことを決めたんです。
私はその人に、パチプロとしての「勝ち方」と「立ち回り方」を教えてもらい、開店から閉店まで、13時間台に向き合い続ける毎日が始まりました。
閉店間際にデータを手書きで記録し、翌日どの台を打つか、どこに高設定が入るかを予測。
店員と仲良くなって設定6の場所を教えてもらったり、常連たちと情報を交換したり。
当時は4号機の全盛期。
一日で20万円~40万円稼ぐことも珍しくなく、コツコツ貯めて最終的には400万円の貯金。
本気で立ち回る女性として認知されるようになり、パチプロライターの依頼が来たこともありました(もちろんお断りしましたけどね)。
その頃の私はパチスロ→麻雀の生活だったので、「このままでいいのかな?」という思いは、どこかにずっとありました。
やっぱり「パチスロ」というのは一般的に見たら、やっぱりちゃんとした仕事という風には見られないから。
それに、振り返ってみると、私はこれまで、お金があるときもあれば、借金に苦しんだ時期も何度もありました。
「ある時も、ない時も」。
その両方を経験したからこそ、「自分で稼ぐ力」を持つことこそが、本当の安心なんじゃないかって思うようになりました。
そんなある日、知り合いの社長から連絡がありました。
「大阪で、上場企業のコールセンターを委託で運営してるんだけど、管理職として来てくれないか?」
その一言がきっかけで、私はパチスロでの生活にピリオドを打ち、大阪へ行くことに。
新しい環境と挑戦に、少しの不安と大きな期待を抱えながら、私は一歩を踏み出しました。
そこから、管理職というものの、朝9時から夜21時まで、電話をかけ続ける毎日が始まりました。
その後は23時くらいまでMTG。
気づけば、約2年間、ほぼ毎日、電話漬けの生活。
週1回しかない貴重な休みは、疲れを取るだけで終わってしまい、お金を使う時間も気力もなく、給料はどんどん貯まっていきました。
成績は社内2位、全国ランキングでも62位。
会社からも表彰されて、「自分、やれてるじゃん」と思う気持ちもありました。
でも同時に、「この働き方は、もう限界かもしれない」と感じ始めていました。
そんな時、「今度、福岡にも支店を出す予定なんだけど……福岡に戻る?」と声をかけてもらいました。
その一言で、福岡に戻ることを決めました。
大阪で過ごした2年間は、本当に楽しくて。
仕事はハードだったけれど、仲間や友達にも恵まれて、「帰りたくないな」って思えるくらい、かけがえのない時間でした。
そして福岡に戻った後も、同じように朝から晩まで電話をかける日々でした。
場所が変わっても、働き方はまったく変わらなかった。
「やりきった」と思える反面、
「この働き方を、ずっとは続けられない」
という気持ちはどこかにありました。
そうして、心も体も限界を迎え、私はこの生活にピリオドを打ち、会社を退職しました。
でも、私の人生にはもう一つ、大きな転機が訪れました。
20代後半、長年付き合った人と結婚したけれど、心と体をすり減らす毎日に限界を感じ、
子どもがいなかったからこそ離婚を決断しました。
でも、離婚を選んだ自分に襲いかかったのは、
「この先、私はもう一人なのかもしれない」という怖さ。
30代直前という年齢が、妙に胸に突き刺さりました。
未来が見えず、心も体も疲れ果て、
気づけば帯状疱疹まで出て、
ベッドで泣きながら「私、どうすればいいの?」って。
あのときの私は、きっと人生で一番どん底でした。
その後、派遣で商社に勤めたり、IT関連の企業に勤務したりと、新しい働き方を模索する日々へ。
昼間は真面目に仕事をしながら、夜になると別の顔で働く毎日。
中洲の飲み屋で接客をしたり、出会い系掲示板のサクラとして、PCで淡々とメッセージのやりとりをしたり。
社会の表と裏を行き来しながら、
「これが私の人生なのかな」と、
どこかで諦めかけていた時期でもありました。
でも、そんなある日、 常連で通っていたダーツバーで、ひとりの男性と出会います。
その人が、今の旦那です。
出会った瞬間、ビビビと電流が走って、交際からたった2ヶ月で、まさかのスピード婚約。
この出会いが、私の人生をまた、大きく動かしていくことになりました。
子どもがいても、スマホ1台でお金を生み出せる?「家で稼ぐ」ことを本気で考え始めた日

結婚して、まもなく妊娠。
そして、長女を出産。
これまでの嵐のような日々とは一転、毎日はゆっくり流れはじめたけれど、
それでも、心の中にはぽっかりとした焦りと不安が残っていました。
「このまま、家で何もせずにいるのかな」
「でも、外で働くには、子どもが小さすぎる…」
オムツを替えながら、寝かしつけをしながら、いつもどこかで「自分だけが取り残されている」ような気がしていました。
でも私は、ただの専業主婦になりたかったわけじゃなかった。
「家にいても、何かできることはないか」
そう思って、スマホ片手に深夜まで情報を探し続けました。
そんな中で出会ったのが、「メールレディ(メルレ)」の仕事でした。
初期費用ゼロ。
スマホひとつでできて、時間の融通も利く。
「これなら、今の私にもできるかもしれない。」
そう思って、思い切って登録。
旦那にも「ビジネスだから」と伝えて、スタートさせました。
正直、最初は半信半疑でした。
でも、始めてから1週間。アプリの報酬画面を見て、目を疑いました。
19,000円。
「えっ、これすごい!私が稼いだの?」
画面越しに文字を打つだけでお金が入ってくるなんて、
それまでの「会社での労働でしか稼げない」人生しか知らなかった私にとっては、まさに衝撃でした。
そこからすぐに、Instagramでメルレ用アカウントを開設。
実践記をインスタで発信しながら、メルレでのコツを掴み、1ヶ月後には71,000円の報酬を手にすることに。
寝かしつけたあとの夜、リビングの隅でスマホを握りしめながら、「こんな働き方、あったんだ……」と、何度も画面を見つめました。
また、インスタでリアルタイムで実践報告をしていたので、ありがたいことにコンサルやサポートの依頼が殺到。
そこからサポートをしながら、メルレのプレイヤーとして実践も続けていました。
正直、メルレの世界は想像以上に刺激的で…
驚くような内容もたくさんありました。笑
アダルトな内容が多くて、心が折れそうになる人もきっと多いと思う。
私はあえて、メールのみの「ノンアダ」で続けると決めて、 普通の会話を楽しみにしている方にだけ、メールのみで寄り添うことにしました。
そのおかげもあって、収益はどんどん伸びていき、最終的には4ヶ月半で65万円以上、2年間で総額300万円を超える収入を手にすることができました。

ただ、子どもが少し大きくなってきて、
「ママ、スマホで何してるの?」って聞かれたとき、胸の奥がざわついたんです。
「この働き方、ずっと続けるのは違うかもな…」
そう思った私は、次のステージに進むために動き出しました。
まずは、クラウドワークスやランサーズに登録して、クライアントワークを経験。
同時に、自分が趣味でやっていたInstagramのアカウントに目を向けてみたんです。
「ここでも何かできるかもしれない。」
その直感は、間違っていませんでした。
たった1つのブログが、私の人生を動かしはじめた「SNS×ブログ」で、ゼロから生まれた新しい働き方

メルレで得た収入と自信を手にした私は、
「もっと長く続けられて、積み上げるほどに資産になるビジネスがしたい」
そう考えるようになっていました。
ちょうどその頃、趣味で使っていたInstagramのアカウントがあり、
「このフォロワーたちに向けて、何か届けられることはないかな?」と
ほんの軽い気持ちで発信を始めて見ました。
そしたらそれが、すぐに売上につながりました。
「え!いま売れた!」
「私が、発信した言葉から収入が生まれた!?」
その瞬間、稼ぐって、こういう形でもいいんだって気づいたんです。
そこからすぐに、私はWordPressでブログを立ち上げ、ASPと契約。
本格的に「情報発信×収益化」というビジネスにのめり込んでいきました。
アメブロも並行してスタート。
すると、投稿した記事が、そのジャンルの公式記事ランキングで人気1位を獲得。
さらには、そのジャンルの公式ハッシュタグで1位~6位まで独占という状態に。

楽天ROOMでは、Aランクを2回連続で達成。
気づいたら、コメントやDMを通して、
「参考になりました!」「この情報、すごく助かりました」って声が届くようになっていて。
ああ、ちゃんと誰かの役に立ててるんだなって、画面越しにじんわり嬉しさがこみ上げてきたのを覚えています。
SNSアカウントを横展開していて、一時は手が回らずに放置している万垢も2つあります。
コツコツ発信を続けていたら、気づけば、Instagram・X (旧Twitter)・Threadsの合計の総フォロワーは23万人を超えていました。(れいら垢以外です。)
でも、SNSだけじゃ終わらなかった。
発信の先に、「ストック型の資産を持ちたい」という想いが強くなり、私はブログ運営にどんどんのめり込んでいったんです。
実は私、昔からサイト構築に興味があって。
「ブログって、アフィリエイトできて、育てれば自動販売機みたいになる」
そう思ったのが、始めたきっかけでした。
最初は、有名ブロガーのYouTubeを見て、完全に独学でスタートしました。
何度もつまずいたし、デザインのカスタマイズでは頭を抱えることも。
でも、書けば書くほど、記事が積み上がっていく。
その感覚が、たまらなく心地よかったんです。
自分のメディアが育っていく感覚に、気づいたらどんどんハマっていました。
SNSとブログを掛け合わせたことで、「商品が売れる仕組み」がどんどん見えてくるようになって、そこから、別ジャンルの特化ブログにも挑戦しました。
そして、SNS×ブログの戦略をコツコツと積み重ねた結果、気づけば、年収は650万円を超えていました。


しかも1つのサイトは、指名検索で、「この分野ではこのブログだよね。」という感じのポジションを取り続けています。
2022年以前のデータはGA4の仕様変更で取れず、2023年以降の1サイト分のデータの画像です。
※2023年1月~2025年2月までの検索流入のデータです↓

このサイトは2021年から運営してますが、Googleアップデートの影響は一度もなし。
今まで何度もGoogle砲(Google Discover)に掲載されています。
あのとき、スマホ1台で19,000円を稼いで「本当に入った…!」と喜んでいた私が、
数年後には、家にいながら数百万円を稼ぎ出すようになっていました。
今でもSNS×ブログは続けていて、メインの収益の柱の1つになっていますし、
「SEOに振り回されないブログ運営」を目指すにはSNS×ブログはおすすめの手法の1つです。
「もう我慢しない」子どもも、自分も、ああきらめたくなかった私が選んだ働き方

SNS×特化ブログで、ある程度の収益が出るようになってきた頃。
私は次第に、こんなふうに考えるようになっていました。
「このままでも悪くないけど、もうひとつ収益の柱があれば、もっと安定するかもしれない。」
そんなとき、思いがけない出来事が起こりました。
それは、これまでコツコツ積み上げてきたブログのうち、稼ぎ頭のうちの1つのブログが、ある日突然、アクセス0になったことでした。
頭が真っ白になって、目の前の画面をしばらく見つめることしかできませんでした。
原因がまったくわからず、目の前が真っ暗になって、独学でやっていた私は「なんで?」「どうして?」と混乱するばかり。
必死で調べていくうちに、Googleの手動ペナルティを受けていたことがわかりました。
それまで順調に育っていたブログが、一瞬で吹き飛んだ現実。
それはもう、喪失感というより放心に近かったです。
でも、そんな時にふと思ったんです。
「このやり方だけに依存してたのが、そもそも危なかったのかも」
「他のブログの稼ぎ方も知っておきたいな」って。
そこで出会ったのが、トレンドブログという新しい選択肢でした。
「結果が出やすい」
「収益までが早い」
「アクセスが一気に集まりやすい」
「外注化しやすいから効率よく収入の柱を作れる」
そんな特徴を持つこの手法なら、新たな収益源として取り入れられるかもしれない。
そう思って、私はトレンドブログに挑戦することを決めました。
そして今度は独学は辞めて、すぐにトレンドブログのコミュニティに参加。
さらに、個別でコンサルも受けながら、全力で取り組み始めました。
でも、ここからは正直言って、簡単な道ではありませんでした。
毎日、ニュースをチェックして、ネタを選び、キーワードを探して、パソコンに向かって何時間も記事を書く。
これまでのように、感覚でできたメルレやインスタとは違って、
トレンドブログはとにかく記事を書いたり、ネタ選定とキーワード選定を大事にしないと結果が出ない世界。
記事を書くのも、最初はほんとうに苦痛で、
「なんでこんなことしてるんだろう」って思った夜も、正直ありました。
だけど、ちゃんと積み上げれば結果につながる世界でもありました。
私は、何度もつまずきながらも、「これならいけるかも」と思えるやり方を少しずつ見つけていきました。
たとえば、時間が取れないときは、
ネタ選定やタイトル作りだけでも進めておくとか、
スマホでメモを書いておいて、子どもが寝たあと一気に記事に仕上げるとか
限られた時間でも最大限やれる工夫を、日々積み重ねていきました。
だから、決してスマートじゃなかったけど、やりきった。
その結果、 トレンドブログ開始から半年で、月収16万円を達成。さらに2ヶ月後には、月収31万円を突破。

時間が思うように取れない日々の中で、「やれば結果になる」という確かな感触を、自分の手でつかむことができました。
そして私は、「ブログなら、自宅でも、子どもを見ながら稼いでいけるかもしれない」と思いました。
子どもが急に熱を出しても、 幼稚園や小学校から「お迎えお願いします」と連絡が来ても、私はすぐに迎えに行ける。
何より、誰にも気を使わずにそうできるってことが、心の余裕になっています。
そして何より私が強く感じたのは、ある朝、子どもが「今日はなんか、行きたくない…」って言った日。
もし私が、外で働いていたとしたら、
「え?今日仕事なんだけど…」って、イライラしながらパート先に「休みます」の連絡をして、その苛立ちを、無意識に子どもにぶつけていたかもしれない。
でも、「そっか、じゃあ今日はおうちでゆっくりしようか」って言えることが嬉しくて。
こんな時に、私は本当に、ブログという働き方を選んでよかったと思いました。
収入のためだけじゃない。
子どもの気持ちに寄り添える余裕、 「母親としての自分」を大切にできる時間、それを守ってくれるのが、自宅でできるブログという選択肢だったんです。
それに、私は小さい頃、「お金がないからダメ」と言われて、たくさんの「欲しい」や「やりたい」を飲み込んできました。
欲しいものを我慢して、やってみたかった習い事も、夢のように遠くに感じていたあの頃。
だからこそ今、自分の子どもには、できるだけ我慢させたくないって思うんです。
「お金がないからダメ」じゃなくて、
「やってみたいなら応援するよ」って言ってあげたい。
そのためにも、
「自分の力で、お金を生み出せる手段」を持っていたかった。
私にとってそれが、家でできるブログでした。
家にいながら、自分のペースで働いて、
大切な人たちのために、お金と心の余裕をつくっていける。
ブログって、やっぱり最強だなって思っています。
紆余曲折の末にたどり着いた、私にとっての最適解。それが「ブログ」でした。

正直、これまでいろんな世界を渡り歩いてきました。
MLMに挑戦したり、パチスロで生活費を稼いだり。
知り合いの社長に声をかけてもらい、大阪・福岡でコールセンターの管理職を務めたこともあります。
商社やIT企業で、派遣や正社員として働いたこともありました。
夜は、中洲で接客の仕事をしたり、その後、PCで淡々とやりとりを続けるサクラの仕事を経験し、
スマホひとつでできる「メルレ」にも挑戦しました。
どんな仕事も、やればやるほど自分なりの気づきや学びはあったし、
必死に働いていたからこそ、得られたものもあったと思っています。
それにもう一つ。
私が「自分の働き方を見つけたい」と強く思った理由があります。
それは、夫が転勤族だったこと。
「どこに行っても、またゼロから人間関係や仕事を作り直す」
そんな生活が、これからも続くんだと思ったとき、心の奥に小さな違和感が生まれました。
「この土地でパートを始めても、また辞めなきゃいけないかもしれない。」
「いつまで経っても、自分のキャリアが築けない。」
そんなふうに自分の働き方を見つけたい気持ちは、
ずっと心の中にくすぶっていたんです。
だからこそ、
「パソコン1台あれば、どこにいてもできるブログ」という働き方に出会ったとき、
私は心から 「これだ」と思った。
そして気づいたんです。
「ブログという働き方だけは、これまでのどんな仕事ともまったく違う」って。
時間に縛られない。 場所にも縛られない。 人間関係に悩まされない。
やりたくない仕事を、無理して笑ってやる必要もない。
上司の顔色を伺ってビクビクしたり、
パワハラ・セクハラに耐えて「いつか認められる日が来る」って自分をすり減らしたり、
評価の基準もわからないまま、理不尽に振り回される毎日ともサヨナラしました。
ブログの世界では、 自分が頑張った分だけ、ちゃんと結果につながる。
誰かの都合に振り回されない。 自分で舵を取れる。
その自由が、何よりの価値なんだって思っています。
もちろん、最初から理想的だったわけじゃありません。
でも、続けていく中で少しずつ、暮らしが変わっていきました。
たとえば、
・平日に家族旅行へ行けるようになったり
・推しのライブに迷いなく行けたり
そして、ずっと夢だった「自分の子どもとライブに行く」という願いも、ついに叶えることができました。
今では、大好きなバンドやグループのライブに一緒に行って、同じ時間を楽しめることが本当に嬉しいです。

そしてそれは、家族に対しても同じ。
子どもたちが「やりたい」と言ったことを、できるだけ叶えてあげられるようになったり、
親を食事に連れて行ったり、プレゼントを贈れるようになったり、
子どもが体調を崩した日も「今日は一緒にいてあげよう」と迷わず選べるようになったり。
「時間」と「お金」の両方が、少しずつ自分の手の中に戻ってきました。

それに、ブログを始めてからは自然とビジネススキルも身につきました。
ライティング、マーケティング、SNS運用、セールスライティング……
何より、「価値を届ける」という目線が、すごく育ったと思います。
いろんな仕事を経験してきたけど、
子どもに「ママはこういうことしてるよ」って説明できる働き方って、案外少なかった。
ブログなら、自分のスキルになる。
そして、自分が頑張った分だけ、ちゃんと資産になっていく。
しかも、初期費用はほぼかからない。
パソコンとWi-Fiがあれば、誰でも始められる。
もし、私があのときブログに出会えていなかったら、
きっと、今とは真逆の毎日を送っていたと思います。
もしいま私がパートで働いていたら、なおさらそう感じます。
例えば、
・金銭的にも時間的にも余裕がなくて、家族旅行にも行けない。
・推しのライブどころか、自分の趣味に使う時間もお金もまったくない。
・子どもの習い事や塾にも、満足にお金をかけてあげられず、送り迎えもしんどい。
・親が元気なうちに、食事に連れて行ったり、旅行をプレゼントしたり、そんな親孝行もできないまま、一生後悔する。
そして何より、子どもが「今日は学校行きたくない」と言ったときに、
職場に気を使いながら「すみません、今日は休ませてください」と連絡を入れて、
本当は寄り添いたいのに、余裕がなくて、ついイライラをぶつけてしまっていたかもしれません。
自分自身も、職場の人に気を使いながら休まざるを得ず、
翌日出勤したときには、周りの目が気になって、肩身の狭い思いをする。
そんな毎日だったかもしれないと、ふと思うことがあります。
正直、いろんな働き方があるけど、
「私も何か始めたい」「このままじゃ不安かも」
そんな気持ちが少しでもあるなら、私は迷わず、ブログをおすすめしたい。
なぜなら、私自身がそうだったからです。
転職を繰り返す中で、
「この経験、次に通用するのかな…」って不安になったこともある。
でも、ブログならその不安も関係ない。
自分で積み上げたものは、自分の資産になるから。
場所も選ばないし、日本じゃなくてもいい。
高い家賃の東京に住まなくても、好きな場所で、好きな人と、好きな時間に働ける。
ブログは、単なる「副業」じゃなくて、生き方の選択肢になる。
そう思えるようになったのが、私にとっての転機でした。
私にとっての最適な働き方は、やっぱりブログ。
そしてそこから広がったのが、「講師」と「AI開発」という、想像もしていなかった未来でした。
「やってきたことが、すべてブログにつながっていたんだ」
そんな風に思えるようになったのは、きっと、自分に合った働き方にやっと出会えたから。
そして今、同じように悩んでいる誰かの背中を、少しでも押せたら…
そんな想いで、私はこの文章を綴っています。
ブログ収益・講師・AI開発。3本柱で、私は「自宅で生きる力」を手に入れた。

トレンドブログで成果が出てきた頃、次に私の中で大きくなってきたのは、こんな思いでした。
「もっと効率的にブログを続けられる方法はないかな?」
「記事を書くのが本当に大変…正直、しんどい。」
子育てや家事、日々のあれこれをこなしながら、夜中にパソコンに向かって記事を書く毎日。
この頃、外注ライターさんにもたくさん記事作成をお願いしていました。
だけど、
「このやり方を、ずっと続けるのは正直キツいな…」という思いが、日に日に強くなっていったんです。
そんなときに出会ったのが、「AI」という新しい選択肢でした。
ChatGPTなどのAIを実際に使っていく中で、私はふと気づいたんです。
「AIをどう使えばいいか迷ってる人、私以外にも絶対いるな」
「でもその前に、ネタ選びやキーワード選定の基礎がわかってない人が多いかも」
それなら、まずはAIの前段階である「トレンドブログの基本」を丁寧に伝えたい。
そう思った私は、Udemyで講座を出すことを決めました。
そして、トレンドブログでなかなか稼げない人・ブログ初心者さん向けに「ネタ選びとキーワード選定」に特化した講座をリリース。
>>《ネタ選びとキーワード選定》に特化したUdemy講座はこちら
結果、700名以上の受講生に届けることができ、「ベストセラー」を獲得し、ベストセラー講師になることができました。

今では毎月2〜3万円の安定したストック収益が生まれています。
でも、ここで終わりませんでした。
「やっぱり記事を書く部分が一番ツラいんだよな…」
そう思っていた私は、ついに次の一歩に進みます。
実は、Udemyを出すよりもっと前から、私は密かに、「自分でGPTsを開発したい」という構想がありました。
でも、どうせ作るなら中途半端なものじゃ意味がない。
「本当に使えるものを作りたい」と考えて、そこから私は、GPTs開発のために本格的にビジネスプロンプトを学び始めました。
そこから、半年以上かけて構築・検証・調整を繰り返して、ついに、トレンドブログに特化したGPTs『アルカディア』が完成。
>>くわしくはこちら
2025年3月にリリースすると、初日で60部完売、現在は180部突破し、月収100万円を達成。
「自分のしんどかったが、誰かのもっとラクになる。」
気づけば今、 私は「ブログ×AI×コンテンツ」の3本柱で、自宅にいながら自分らしい働き方を築けるようになっていました。
ブログから始めて、Udemy、GPTs販売(コンテンツ販売)と多様な発信ができるようになりました。
ブログを始めてから、まさかこんな展開になるとは思ってなかったので、
ブログを始めて良かったと心から思っています。
家にいながら、子どもの体調や気分に寄り添える働き方。
自分の気分やライフスタイルに合わせて、柔軟に仕事ができる毎日。
そして、かつての私と同じように悩む人に、「遠回りせずに進める道」を届けられる今がある。
「これが、私の働き方だ」
ってようやく言えるようになりました。
今あなたが「こんな働き方ができたらな」と思ってくれたなら、それはきっと、もうスタートの合図です。
自分でお金を生み出せる力を持ち、自分らしい人生を選び取る。
ブログもAIも、決して特別な人のためのものじゃありません。
私もゼロからここまで来ました。
次は、あなたの番です。
そして私は、こうも思っています。
「自分で選んだ道を、自分で切り拓いていく。」
誰かの価値観に縛られるんじゃなくて、
自分が心から納得できる選択をして生きていきたい。
そんな風に思ったのは、
あの頃、毎日のように「このままでいいのかな」って悩んでいたからです。
「家族を守りながら、自分らしく生きたい。」
この願いは、私の中でずっと変わらずにあるもの。
正直、うまくいかない日もたくさんありました。
パソコンに向かう時間を捻出するために、
子どもが寝た後に眠い目をこすって更新したこともあります。
「もっと遊んでよ〜」と言われて胸が痛んだ日もあります。
でもそれでも、私はあきらめなかった。
ブログを書くことで、
自分の時間が誰かの役に立つ時間になる。
そう感じたとき、
「あぁ、これはただの発信じゃなくて、私の生きる力なんだ」って思えたんです。
そして今、こうして繋がれる仲間が増え、
一緒に未来の選択肢を広げていけるこの環境が、私にとっての宝物です。
だからこそ私は、
この「ブログという生きる力」を、これからも届けていきたい。
そして、ブログから始まる「その先の可能性」。
好きを仕事にすることも、時間を味方につけることも、
決して特別な人にしかできないことじゃない、ということを伝えていきたいです。
このプロフィールから、
私のことを少しでも深く知ってもらえたら、すごく嬉しいです。
もしあなたも、
「自分で選んだ道を、自分で切り拓いていきたい」
そんなふうに感じてくれたなら…
今、私が一番心を込めて発信しているのが、
無料のメールマガジンです📩
ブログでの収益化にまつわるノウハウはもちろん、
失敗も、試行錯誤も、日々の気づきも、ぜんぶ赤裸々に綴っています。
たとえば…
✔️ 毎月安定して収益を出すためにやっていること
✔️ 誰にも言ってなかった、あのしくじり話
✔️ 自信がなくなったとき、私が立て直した方法
ただのノウハウじゃなく、
一緒に進んでいける仲間に向けて、本音で書いています。
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これからブログを始めたい方、
今よりもっと効率よく収益化したい方には
きっと役立ててもらえる内容になっていると思います。
興味のある方は、こちらから登録してみてくださいね。
一緒に、「自分らしく働く力」を育てていきましょう。
あなたと繋がれるのを、心から楽しみにしています!